四隅の時間で
タイムマネジメント
■マネジメントレクチャー

「『仕事とは』その1」


私たちのノウハウが活用されるフィールドは、ビジネス全般である。つまり、対象は「仕事」ということになる。では、皆さんに質問しよう。
「仕事」とは一体、何なのだろうか。

この、禅問答のような質問に、即座に答えられる人は、なかなかいないだろう。なにも私は、ここで禅問答をやりたいわけではないのだが、対象の捉え方が違うと、アプローチの仕方も、対処の方法も、異なったもとになってしまうものである。そこで、一見難解なこの質問に、弊社ではどう答えるかというと、私達はこれを、「目標達成のための共同作業」と定義している。

ここで、まず、注意しなければならないのは、「共同作業」というからには必ず、複数の「人」が存在するということである。なんだ、当たり前のことを…とお思いの方もあるかも知れないが、この、「人」という観点が、実は大変重要な意味をもっているのである。例えば、昨今盛んに行われている生産性向上への取り組みをみてみると、そこで対象とされているのは、業務項目の分析や不要業務の抽出など、もっぱら仕事の内容ばかりで、それを行っている「人」には、ほとんど注意が向けられていない。せいぜい人員削減の対象ぐらいにしかみられていないようである。しかし、いくら仕事が簡略化され、時間が短縮されても、それを行うのは、それぞれ個性を持った「人」である。機械のように誰もがいつも同じになどできるわけがない。それなのに、仕事の量や人数を減らすことばかりに気をとられていたのでは、そこで働く人の意欲も忠誠心もなくなって、かえって生産性の低下をまねきかねない。「人」という観点が欠落すると、折角の組織活性化への取り組みも、組織不活性化への取り組みとなってしまうのである。

そこで、次に重要になってくるのが、「人」にも2種類あるという発想である。「2種類の人」などというと、自分はどっちだろう、などと思って、なんだかドキドキするが、何のことはない、「自分」と「他人」の2種類である。

仕事に限らず何事も、まず「自分」という主体がいて、「他人」と関わりながら、私達は日々生活している。自分の人生においては、どんな時も、「自分」が主体なのである。ところが現実の世界、特に日本のビジネス社会をみてみると、自分を前面に出すことは、必ずしも美徳とは受け入れられない。いわゆる謙譲の美徳がもてはやされているのが、私達の住んでいる文化の特徴である。それで、ビジネスにおいても、ほとんどの場合「他人」中心に偏って、結果、ストレスやプレッシャーに押しつぶされそうになっているのではないだろうか。部下が育ってくれないとか、得意先が理不尽なことを言うとか、発注したものが納期に遅れるというように、何事もなかなか自分の思いどおりにいかないのは、すべて、部下なり、得意先といった「他人」がいるからである。それで、私達は、いちいち腹を立てたり、悩んだり、多大なエネルギーを消費しているのである。

しかし、先程の定義に立ちかえって考えてみれば、仕事とは、他人がいて初めて成り立つものだということができる。だとすれば、ことの原因を「他人」に押し付けていても、問題は少しも解決されない。重要なのは、私達自身が自分を見失い、他人に振り回されている点である。いかに仕事が「共同作業」であろうとも、自分が仕事をする限り、その時の主体は、私達自身なのである。にもかかわらず、私達は、どうやら「自分」というものを、どこかに置き忘れてしまっているようである。

私たちの調査でも、ダメージや問題が発生するケースの多くは、自分の役割、するべき仕事が不明確で、他人との接点がぼやけてしまっている場合である。

とすれば、まずは自分自身をしっかりと見つめ、その上で、「他人」との関係を考えること。それが、生産性向上のための、第一歩と言えそうである。


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